認識の極北

人間には認識でしか現に表すことはできないのではないか。完全な存在自体(内容の無い存在)は認識できないもので、言葉という意味でしかモノを確認できない。無意味ということですら、無意味という内容がある。だから、意味の無い存在というのは完全な存在ではなく、認識の領域になる。
ずっと存在をコンセプトに表現したかったのですが、それは無理だということがわかった。無理というか、そういうものは表現なぞとは関係なくすでにある。なので僕は認識の極北をなんとか目指します。
それにしても、コンセプチュアルなものは面白くない、見る聴く必要がないということをよく見かけますが、コンセプトの無いものなんて可能なんでしょうか。もし"コンセプトがない"ということが可能ならそれがコンセプトですし、"ただ楽しいから"というのも充分コンセプトだと思います。見触り聴き触りの良さもいいと思います。またそれとは関係のない面白さもある。
コンセプトがあるとかないとか、ナンセンスな話題だと思います。僕個人の考え方ですが、価値観変えられる何かに出会うことってとても面白いことだと感じます。別にそれを啓蒙する気はないですが。