l-eの新しい企画

前のギョベクリテペのライブが個人的に印象に残っていて、僕自身が傍観者としていろいろ発見できた。僕自身は何も肩書きもないし権威でもないので、もちろんお客は知人一人だけだったんですが、僕自身もある意味、客(経験者)としてすごく充実感があったんです。
そこで、いわゆる巷の芸術にあてはまらない企画ができないか考え中。芸術のシステムとして人の肩書き、権威主義、個人芸など、やっている側だけに重きを置かれている気がしてます。
そうではなく、「誰が〜をやる」の「〜」の部分のみに注目がいき、それはどんな目的で行われるか、どんな背景から行われるか。そしてそれをその場にいる人がそれぞれの経験をし、何だったのか個人的に考える。
しかし、何かきっかけを与える人がいなければならない。その人も経験者の一人として存在するには?「誰が〜をやる」の「誰」の名前を出さない。でも現実、誰かが何かをするのだから、あまり意味をなさないか…。
どうしたら理想的になるのだろうか。試行錯誤してみます。