(h)ear rings vol.6のこと

(h)ear ringsのBBSで吉村さんが書いているキュビズムと音の話し、興味深く読みました。
吉村さんはいつも空間と音について深く洞察している人だと感じます。彼の音楽、特にマイクフィードバックにはその考えが凝縮しています。空間、状況によって変化する音、また自分自身にも予測がつかない。これこそ本当の即興なんじゃないかと彼の演奏を聴くと思うんですよね。
Loop-Lineで(h)ear ringsを開催するにあたって彼からもらった企画書にもそのことを詳しく書いてあって、Loop-Lineのコンセプトとも一致してると感じました。

視覚と聴覚についても今回のvol.6は重要に感じました。今回の出演者のパフォーマンスを視覚的、聴覚的に見ていくと、吉村さんはLoop-Lineをできるだけ暗くして音響的演奏を、Analogicは照明を切って映像を使ってのパフォーマンスとすこしグルーヴを伴う音、大谷能生さん(昨日は誤字ごめんなさい)は譜面を見るため照明を明るめにして音楽的な演奏を、rafflesiaは伊東さんのオプトロンの光とSachikoさん側に暗めの照明を当てて、ストーリーのない即興。
一昨日の記憶をたどっての個人的な体感ですが、吉村さんのときは暗闇(これは視覚の一部)によって音の響きにより集中しました。
Analogicは自分がパフォーマンスをしてたので何とも言えないですけど、映像の展開と音の展開を比べて知覚する感じ。
大谷さんは演奏をしている姿や動きを見ながらその人から発される音楽を聴く、いわゆるライブというのを改めて感じました。
rafflesiaはどうしても目線は蛍光灯の方に行きがちで(直視はできないんですが)、Sachikoさんの音と伊東さんの音と蛍光灯の光とで別々に刺激を受けることで言葉では言い表せない混沌とした感覚がありました。

今回の(h)ear ringsはAnalogicとrafflesiaの視覚を含むものと吉村さんと大谷さんの音のみの表現(またこの2人も対照的)が交互にあったことで、いろいろと面白い効果があったと思います。