David Bowie

あまり追悼とか好きではないのですが、自分の人生のエポックな人物なので思い入れが強い。大学の文化論や死学の論文にボウイについて書いたりしたなー。
中学3年〜高校時代になり今までビートルズ1色だった音楽鑑賞が70年代に移行した。特にグラムロックとブログレにどっぷり。その中でもボウイは一番はまった。アルバムごとにキャラクターが変わり、音楽やイメージを客観視して記号化する、ミュージシャンというより自分自身を作品として表現するアーティスト。彼の詩の世界も好きだった。ボウイを通じてルー・リードイギー・ポップブライアン・イーノを知った。そしてイーノ経由で実験音楽を知っていった。またバロウズなどの文学にも目を開かせてくれた。

一番聴いたのはロウ、ヒーローズ、それからアウトサイド。ボウイとイーノのコラボは本当に好き。特にアウトサイドの時期の来日に行って、ボウイがこの世にリアルに存在することが確認できて興奮した。アウトサイドは芸術のための猟奇殺人、芸術か犯罪か?というテーマもあり、前衛アート気取りの高校生だった僕にはたまらないものがあった。(かばんの中には裸のランチとロウ、メタルマシーンミュージックを必ず入れて持って歩いていた。恥)
今でも持ってるアルバムはスペースオディティ〜スケアリーモンスターズ(ピンナップス除く)とティンマシーンの2枚、ブラックタイホワイトノイズ、アウトサイド、アースリング、アワーズ。レッツダンス、トゥナイト、ネバーレットミーダウンは売ってしまった。
1999年のアワーズは50代になったボウイが過去の若き自分と向き合ったアルバムで総決算的な感じがしてしまって、自分にとって1999年にボウイは終わってしまった。2000年代以降のボウイはなぜか死んで生まれ変わった別人な感じがしてしまう。なので試聴はしたものの思い入れが持てず買うには至らず。別人になったというのはヤングアメリカン、レッツダンスの時とはまた違った感じなんだけど(この2枚が出た時期はリアルタイムでは知らないからはっきりしたことは言えないけど)、2000年代のヒーザンとリアリティーはあまりはまれなかった。良いとも悪いとも思わない、なんとも言えない感じでした。うまく説明できないけど、実存感が前面に出ていてロックシンガーの域に収束されてしまったというか…。レッツダンスはわざと受けを狙ってる感じが逆に新鮮なんだけど、その感じもない。
ネクストデイとブラックスターもその印象が拭えず。

死去のニュースを見て、びっくりはしたもののそんなに実感がなかった。そもそも彼は本当に実在していたのか?そんなこと感じる人物他に知らない。僕はボウイとの勝手な思い出とともにアワーズを聴く。
追伸:すいません、ブラックスター、PV見て認識を改めました。世界観すごくいい、ちょっと偏見が入ってました…。