2010年12月27日 角田俊也solo works: Live Installation / Manfred Werder "stuck 1998 seiten 624-626"レコ発

19:30 open/ 20:00 start
1500円+1drink

田舎道に石像が建っているのを目にする。
地蔵尊は村境に災いが入り込まぬよう祈念して建てられたのだろう。
馬頭観音は家畜が難儀した場所に供養のため建てられ、水害の多い場所には不動明王が祭られている。
庚申塔猿田彦像は、数十年前まで当たり前にあったコミュニティがほぼ完全に失われてしまったことを明かす。
今や単なる目印程度の役割しかない石像。
その顔が向けられた方向には、住民の不安や思いがあった。今はかつてそこに何かがあったことだけが伝わる。
石像はひとの姿をしている。そして思いを託され、向けられるべき方向に立っている。
建立の理由が滅び、環境が変わっても、その向けられた方向だけは未だに同じようにそこに残されている。
それはさながら矢印の化石である。
録音しているとき、私は同じようなことを考える。
録音された音がどうのこうのではなく、或る場所に向けられた意識の矢印が実際に実現したこと、
これを表すことができないだろうか。
最近の録音のテーマのひとつである。
以前はどこに作品が在るのか分からないような展示をしたこともあるが、こんなことを思ってから、
何かを見つめるための空間というものが、自分の中で一巡りして面白く感じるようになった。
今回はいままでやったことのないタイプの映像を使ったパフォーマンスなどを行う予定です。