2008年08月09日

注目すべき人々との出会い・その1
両日共open19:00・start19:30 
料金:両日予約¥3800 
予約¥2000/当日¥2200(ドリンク別オーダー)

予約は、メールでも受け付けております。info@loop-line.jp

杉本拓 taku sugimoto 
宇波拓 taku unami 
志水児王 jio shimizu 
角田俊也 toshiya tsunoda

1:4人全員による同時発生型演目。
  70分強。「三太コンサート」のような形です。

2:志水作品スライド+トーク(約1時間)

「出会いについて」 角田俊也

グルジェフに「注目すべき人々との出会い」という題の著作がありますが、今回私が企画するこのイベントはまったく関係ありません。文字通りの意味です。私がそう感じる杉本、宇波、志水の3人は、他人から見ると何を追求しているのか分かりにくいかもしれません。しかしその分かりづらさは観客側にも半分原因があるようです。たいていの観客は初めて眼にするものにも、何かお約束のようなものを欲し、それが得られるのを待っています。パンチもなければフックもない、何がボケでツッコミなのかも判然としないような、パフォーマンスに観客が立ち去るだけならまだましで、場合によっては怒りの感情を刺激し、特に海外では、ピーナッツからサッカーボールまでステージに投げつけられたことがあるそうです。実験シーンの動向に詳しい者なら杉本と宇波が現在、作曲を中心とした演奏活動を繰り広げていることをご存知だと思います。しかしそれは単純な意味の作曲作業ではありません。杉本の音楽に注目してみましょう。彼は音楽それ自体がすでに関係している事象を取り上げ、音楽の意味を検証する作業を続けていることが分かるでしょう。しかし未だに誤ったレッテルを貼ろうとする人間が多いようです。このことは宇波に対しても同様です。彼はHOSEを筆頭にいくつものや楽団と関わり、ややポップな世界にも顔を出していますが、そこにはソロ名義と同じように、音楽のモードを越え、演奏の可能性を常に追求していることが理解できるはずです。志水と私はかつてWrkというレーベルで一緒に活動していました。彼の昨今のレーザーを使った作品は圧倒的なものがありますが、決してテクノロジー・アートのようなものを目指しているのではありません。彼は一貫して物事の周期運動や瞬間の姿に関心を寄せているのです。私自身もフィールド録音のCDを様々なレーベルから発表していますが、フィールド録音そのものにはあまり興味がなく、私たちが景色という言葉で呼んでいるような空間と時間の広がりとその意味に関心を持っています。眼の前にぶら下がっている特定のイメージだけを理解しようとしていては、彼らが本当に追求しているコンセプチュアルな側面は見えてきません。3人の活動それぞれをよく知る私としては、美術の人間には杉本、宇波を、音楽の人間には志水の作品を紹介したいという欲求がありました。これを実現するのが今回のイベントです。さてここで私自身の3人との出会いを書いてみようと思います。杉本拓の名前は2000年前後に巷でよく聞きました。私がようやく入手したのはHatHutから出されたソロ・アルバムでした。購入してしばらくたってから、突然私の家に杉本から電話がかかってきました。来日したKevin Drummが私と話をしたいということで、電話を取り次いでくれたのが最初 の出会いでした。本人に直に会うのはその5年くらい後になります。浅草の画廊でウィーンから来たBluBluというバンドとのライヴの際でした。杉本の演奏は突然画廊の雑踏の中で始まりました。深々とペグをかましフルアコをペンペンペンと3、4回単音を弾いたかと思うとそのまま動かない。最初私はチューニングのような準備作業だと思っていましたが、さっきまで読んでいた文庫本は閉じられているし、険しい表情でギターを抱えながらじっと時計を見ているようなので、「もう演奏してるんですか?」と同席していた中村としまるに訊ねると「あの顔は演奏中だ」という返事でした。画廊にいた人々は徐々に演奏が始まっていたことに気づき、少しずつ静かになったものの、杉本はじっと動かない。重苦しい沈黙。今思えばプリンキピア・スギマティカの実演中だったと分かりますが、私は、この人は我々がやっていたインスタレーションを人力でやっているのだろうかと思い、内心非常に驚きました。ギターの音は小さかった。後で「アンプのボリュームはゼロでした」と言って笑っていたので、色々と質問したくなりましたがすでに画廊は飲み会状態。野暮なことは止めて一緒に馬鹿話で盛り上がりました。宇波拓と初めて会ったのはオフサイトの2階でした。オーナーの伊東が私のことを紹介すると、彼は私のCDをディストリビュートさせてほしいと話をしてきました。私の第一印象は実験音楽を普及させようという意識の強い若者に見えましたが、その10数分後には濃い目のプログレ談義となり、一緒にアフター・ディナーのセカンドのイントロを口ずさんだりして打ち解けました。しかし自身の企画「服部カーニバル」のDMの、サンタの服を着て宙を舞うビンラディンのイラストを見て、笑っている姿に少々戸惑いも感じました。その数年後、宇波のマンションに遊びに行った時にヒバリやスラブのCDをたくさん聞かせてもらい、ようやく彼らが何をしようとしているのかはっきりと理解できたのでした。それまで彼らの音源はネットのmp3で聴いていましたが、ネットの片手間ではその意図までは分かるはずがありません。志水児王との出会いは大学受験時代まで遡ります。都内の画塾でのこと。彼は現役生でしたが、その無愛想な風貌、達者な描写力に我々浪人勢は一体奴は何者だろうと、少々警戒していました。ある時彼は、誰も普通は使わない、実在感を欠いたような黄緑色を使ってモチーフの石膏像を描いていました。指導講師に説明を求められると、石膏像がすっとそこに立っている感じを出したい、というようなことをおどおどとしゃべりだし、その様子が滑稽で、緊張がとけた私は爆笑して、すぐさま話かけにいきました。その後、お互い同じ大学に入ったものの、制作を共にするまでには至りませんでした。あれは確か彼の初の個展だったと思います。実に渋かった。地下にある画廊。暗転の会場中央に台があり、そこにレコード・プレイヤーが置かれている。レコードは自身が工場で切ってもらった1本溝ループのアセテート盤。そして盤上には何と水銀が一面たっぷり乗っており、そこに針が下ろされゆらゆら映りこんだ像を揺らしながら小さな歪んだ音を流していました。作品の要素はそれだけではありません。画廊の壁に展示のためにビスやネジによって開けられた穴の深さをすべて計り、その平均の深さの穴をいくつか壁に開けてあったらしいのです。真っ暗の会場、それがどこにあるかは表示されていません。また壁に自分の掌を撮った大きな写真が2枚画鋲で止めてありましたが、それは自身が設定した時間周期で一定時間毎に壁面上を少しずつ移動させていたそうです。ちょうどWrkを立ち上げようとしていた時で、私は喜んで一緒に活動しようと話を持ちかけました。 2日に渡るこのイベントでは各々の作家が仕組んだ構成作品を実演するものになる予定です。そこにはインパクトを狙ったハプニングの類は存在しません。予定調和とも無縁です。そこで行なわれたことが、そのようであること自体を問うようなものになるでしょう。まずはこれらの注目すべき人々に出会うことが重要です。もしかしたらさっぱり腑に落ちない体験をするかもしれません。しかし、そもそも私と彼らがそうであったように、出会いとはそういうものなのでしょう。そこから何かが始まるのです。ひとつ特記すると、志水はこの後、9月から始まる釜山ビエンナーレに出品後、デンマークを制作の拠点とします。イベント2日目には、彼が制作してきた興味深い作品映像をスライド上映しながらトークの時間を持ちます。これは杉本、宇波の演奏を知る者にも大いに刺激を得られることと思います。是非、両日共足をお運びください。